金曜日, 8月 28, 2020

Seine Geburt war unordentlich

トーマスマンの十戒Das Gesetzは次の様な冒頭文で始まります。

Seine Geburt war unordentlich, darum liebte er leidenschaftlich Ordnung, das Unverbrüchliche, Gebot und Verbot

彼の生まれは不規則だったことから、秩序、特に確固たる戒告とか禁止とかに忸怩たる思いもありながらも、残念なことに愛することになりました。

19才のドイツ講義でのTextで、何処まで読み進んだか、記憶の抽斗には残っていませんので判然としませんが、此の冒頭文は60年経った今でも思い出すことが出来ますが、講師の氏名も思い出すことは出来ません。

この作品は第2次世界大戦の最中の1944年に刊行された小説で、1961年の講義時点では古典としては分類されていなかったのでしょう。

旧約聖書の出エジプト記第2章には次の様に書かれています。

レビの娘を娶った。女は身ごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、3月の間隠していた。しかし、隠しきれなくなったので、パピルスで編んだ籠を取り、子をその中に入れ、ナイル河の岸の葦の中に置いた。その姉は、彼がどうされるのか知ろうと、遠く離れて立っていた。時にパロの娘が身を洗おうと、川に下りて来た。葦の中に籠のあるのを見つけ、開けてみると子供がいた。「この子はヘブル人の子供、ヘブルの女に乳を飲ませる様にしてください。その報酬は払います」として、成長を見守ることにした。成長した子は、パロの娘に連れて行かれ、その子となり、モーセと名付けた。

日曜日, 7月 12, 2020

新型コロナはグローバリズムへの審判-文芸春秋6月号

文芸春秋2020年6月号は「コロナ後の世界」が特集でした。


種々の自称論客が、愛国主義の観点から自説を述べていますが、その中にあって、フランス人のエマニュエル・トッド氏が「新型コロナはグローバリズムへの審判」として寄稿しているのが気になりました。

グローバリズムの恩恵を最も受けたのは高齢者、最も犠牲になったのは若い世代です。死者が高齢者に集中しているのは、あたかも「グローバル化の中で優遇されて来た高齢者を裁く為に神がウイルスを送り込んだ」と見えなくもありません。
低リスクの若者世代に犠牲を強いることで、高リスクの高齢者世代の命を守ったからです。
今回、体験したのは行政を担当する「知的指導層」が、知的に崩壊しているのかを曝け出しました。政府の対策は朝令暮改で、唖然とするしかない無能ぶりでしたが、あてにならない政府の下でも、自発的に、自律的に正しく行動出来たのは、「文化的な力」のお蔭です。

と言うのも、コロナ禍では、「全体主義」「独裁主義」の体制が成功し、中国式の監視管理こそ感染症対策として有効だとの議論が支配的だからですが、しかし、文化的な豊かさと社会に内在する潜在力こそが、本当の意味で最良な対策となって来るのです。

今回、新型コロナの被害が大きかった先進国が直ぐに取り組むべきは、将来の安全の為に、起こってしまった産業空洞化を克服すべく、社会インフラを再構築すべく、国家主導で投資を行うことです。それに加えて、医療体制を確保すべく、医療産業を保護する措置も採るべきでしょう。


グローバリズムは、諸国に跨るサプライチェーンを構成して、効率的な経済体制を享受して来たのですが、コロナ禍で諸国との交流が途絶えますと全く機能しないことが明らかとなりました。 やはり、今回の騒動で、グローバリズム体制に加えて、最低限のサプライチェーンは自国内でも賄えることが必須と言うことを如実に教えてくれたのだと思われます。

月曜日, 2月 10, 2020

新実存主義-フランスではなくドイツから提言

第2次大戦後に、フランスの哲学者サルトルやぼボーヴォワールが展開した哲学的見解で、ポンティやカミュ等も実存主義運動を展開しましたが、元来実存主義者とは「人生に目的を持たず不条理に現実存在している」ことを批判する呼び方でもあって、マルクス主義との哲学闘争に後塵を拝し、「実存主義」のレッテルを貼られることをあからさまに拒絶する様になって、次第に下火となりました。

生きる哲学としてのマルクス主義も、新自由資本主義との経済競争に敗れてしまって、哲学不在の時代となりましたが、ドイツ哲学や観念論、現象学、解釈学を踏まえて、実存哲学から抽出したものを抱合した「新実存主義」がフランスではなくドイツから提唱されている様です。


新実存主義とは、「心」と言う乱雑そのものとしかない包括的用語に対応する、現象や実在はあり得ない見解とされて、種々の反駁をされている未完の提言である様です。

世界は、あらゆるものを抱合する1個の対象領域でも、あらゆる事柄を抱合する1個の事実領域でもなく、「あらゆる意味の場から成る意味の場(Field of Sense : FOS)」として理解すべきである。新実存主義では、「心」は自然秩序(宇宙)にも世界にも属さない。
「心」は、しかるべきFOSに位置を占め、容易にその存在を受け入れることが出来るのだ。


「心」と言う語で表される一つは存在しないとし、実存主義と心の哲学を繋ぎ、精神の自由を取り戻す為の存在テーゼとしていますが、未だ反駁や議論は続く様な気がします。

土曜日, 1月 25, 2020

幾何学の楽しさを伺う-幾何への誘い

近頃、頭脳が硬くなって、得手だった応用数学も敬遠してしまいますが、新聞広告で岩波現代文書の中に、小平邦彦氏の「幾何への誘い」が宣伝されていましたので、Amazon経由で購入してみました。

小平氏は、日本初の数学界のノーベル賞とされる、フィールズ賞の受賞者で日本数学界のレベルを引き上げた功労者でもあります。
文書構成は、第1章 図形の科学と平面幾何 第2章 数学としての平面幾何 第3章 複素数と平面幾何 となっていて、複素函数論へ幾何学展開されているのに驚かされます。

読み頃は、第1章で、三角形の公理定理、平行線の公理、円の公理が分かりやすく記述解説されていて、本書の分量の半分以上を占めていて、読み応えがあります。
円錐曲線を構築したフランスの天才パスカル16才の時に発見した定理、フォイエルバッハの定理については、詳しく記述されていて、興味が尽きません。
ギリシャの哲学者プラトンが、創始した学院の入口には「幾何学を知らざる者は入るべからず」と言う額が掲げられて、論理の訓練として重視されていたと言うのも分かる様な気がして来ます。

複素函数の幾何学表示はドイツの天才ガウス(Gauss)が、創意工夫したされた世界ですが。この章は記述解説も少なく、読み進めるのには難しい様に思われます。

しかし、幾何学の面白さと知識展開での重要さを知る意味では絶好な書物の様でした!

金曜日, 4月 19, 2019

ハーバード日本史教室-外から見る大切さ

個人や自国の利益ばかりを追求する、新資本主義が世界を吹き荒れています。 中国も共産主義と言う万民庶民を豊かにする教義から逸脱して、新資本主義と変わらない国家資本主義を展開中ですから、何処に居ても安寧の場所はありません。 明治以来の日本の政治経済の発展の歴史を学ぶことで、難局打開出来ないかと、授業やゼミを展開しているのが、知性・知識の殿堂とされるハーバード大学の日本史教室の様で、数々の提言が傾聴に値すると思われるのです。 得てして、自国の良い処ばかり教えて愛国教育を施す。これでは「偽りの誇り」と「実体のない品格(Empty Diginity)」を持つ国民だけになってしまう。こうした動きが日本、米国だけでなく、ヨーロッパ、中国、韓国等に広がっていて、非常に危険な兆候です。 日本には負の歴史に向き合う勇気を持ち、テクノロジー、環境政策の強みを生かし、高齢化社会問題を解決して、世界から更に尊敬される国になって欲しいのです。 明治維新で、坂本龍馬、西郷隆盛は脇役で、大久保利通、木戸孝允が主役、主役の彼等は「西洋と日本のギャップ」に直面し、そのギャップを埋めようと必死に努力する明確な目標があったのですが、現代の日本には明確な目標がありません。 日本の指導者は、江戸時代のサムライの考え方を受け継ぎ、「得た富は国民に分配されるべき」と考えたことで、明治以降、資本主義国家となりましたが、指導者は武士の精神を持ったサムライのままで、貧富の格差がそれ程拡大していないのです。 世界は渋沢栄一に学ぶべきで、彼が理想として掲げていたのは、倫理的な責任感を伴った株主資本主義です。三菱の創業者岩崎弥太郎は個人が利益を追求して独占する資本主義に傾倒していて、渋沢とはしばしば対立しました。 勝者と敗者の格差を助長する経済システムは、人々から支持されず、正当性を失います。貧富の格差は危機的状況で、早く彼の考えに目を向けるべきでした。 日本の経済発展モデルはアジア諸国の模範となったのは、「教育水準を高めれば、社会や経済を良い方向に、短期間に実現可能」と証明してくれたからです。 それには、仏教の影響が大きく、仏陀の信仰順位は1に知識、2に善い行い、3に信仰です。一方キリスト教やイスラム教では、1に信仰として、何より優先されるのです。 仏教国の方が知識獲得に熱心なのは、その為です。 世界に知性と知識を提供し、学校や病院を設立支援する等、既に実践して来たことを拡大し、日本は世界の良き模範となって欲しいのです。

水曜日, 2月 13, 2019

樹木希林の対談コメント集-一切成り行き

NHKBSの「温故希林」と言う番組をよく見ていましたが、古物専門家へは、結構きつい発言をしたのですが、嫌みも無く正鵠を得ていたこともあり、楽しく観ていました。 今回の遺書ともされる著書は、文芸春秋の編集者が対談コメントを纏めたもので、話し言葉で綴られていますので、読みやすくポジティブな生き方に感心させられます。 61才で乳癌発症、70才で全身に転移するも、75才で逝去するまで、仕事を続けて淡々と生き抜いた人生観を、第1章生きること、第2章家族のこと、第3章病のこと、第4章仕事のこと、第5章女のこと、第6章出演作品のこと、と生きる為の全ての観点からコメントされているので、ポジティブで示唆に富む書籍となっていますので、一読することをお薦め致します。 人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前、私自身は、人生を嘆いたり、幸せについて大袈裟に考えることも無いんです。何時も「人生、上出来だわ」と思っていて、物事が上手く行かない時は「自分が未熟だったのよ」でおしまい。お金や地位や名声が無くて、傍からはつまらない人生に見えたとしても、本人が好きなことが出来ていて「ああ、幸せだなあ」と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いていますよ。 どの夫婦も、夫婦となる縁があったと言うことは、相手のマイナス部分が必ず自分の中にもあるんですよ。それが分かって来ると、結婚と言うものに納得が行くのではないでしょうか。時々、夫や妻のことを悪く言っている人を見ると、「この人、自分のことを言ってる」と、心の中で思っています。 けだし、話言葉ではありますが、名言に溢れていました。

木曜日, 10月 25, 2018

手塚治虫のネオ・ファウスト-絶筆の遺作漫画

手塚治虫氏の遺作漫画は第2部の始めで絶筆となって、絵コンテのみが残されています。
第1部は1960年代の学園紛争の中、それとは無縁であった老齢の教授が、「この世が美しいと言う処まで世の中を謳歌出来る」との悪魔と契約して、若者に変身して活躍、遂には妙齢の女性を誘惑しては捨て去り、国外逃亡となる処で終わる。

第2部は、それから数十年経って帰国し、その女性に会い、後悔の念に駆られている処で、絶筆となっていますが、どの様な展開を見せるのかは、興味の湧く処です。
多分、原作の「ゲーテのファウスト」と同じく、その女性に悪魔との契約を解いて貰うことになるのかも知れませんし、オリジナルストーリーとするのかは、何とも判断し兼ねます。

ネットでは、次の様に紹介されています。

手塚治虫は生涯で3回、ゲーテのファウスト物語を基にした漫画を描いた。1作目は戦後間もない20才頃に描いた児童向け赤本漫画「ファウスト」で、2作目は虫プロ社長を辞めた直後、42才頃に描いた「百物語」である。「ネオ・ファウスト」は3作目に当たる。 「ネオ・ファウスト」は、1987年から「朝日ジャーナル」にて連載されたが、1989年の手塚の死により未完且つ絶筆となった。

終盤になると絵コンテのみが掲載され、そのまま絶筆になったことを物語っている。収録されている最後のページは絵コンテのまま「先生の側近に三人のおもしろい者たちをはべらせます」「誰なんだ」という台詞で終わっている。その3人が一体誰を指すのかは謎のままであるが、手塚はその後の展開を作り上げていた。それは、作中に登場する左翼活動家・石巻の精子が新生物となり、地球環境を壊滅させるという内容である。また、物語中盤で球体に入った女性が登場するが、これは人間ではなく「地球の存在そのものを表す生命体」として登場する予定であった。